(更新日:2008年3月25日) |
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| photograph by Shuhei Hori/text by Kei Komori | |||||||||||||||||
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2000年8月、伊藤忠商事の社内事業として、アパレル・ショッピングサイト『magaseek(マガシーク)』をオープン。インターネットはダイアルアップ、まだ大規模なファッション通販サイトが誕生さえしていなかった時代にも関わらず、『CanCam』、『Oggi』と連動し、雑誌上で見かけた商品をすぐに探し出して購入できるという画期的なサービスを実現。
2003年には独立分社化、翌年には第8回オンラインショッピング大賞・「OLS大賞グランプリ」を受賞しネット通販としての地位を確立。姉妹サイトとしてアウトレット・ショッピングモール『OUTLETPEAK(アウトレット・ピーク)』を立ち上げると、2年後には東証マザーズにスピード上場。
−−もともとは伊藤忠商事に在籍の頃、社内ベンチャーとしてこのビジネスを始められたのですよね? はい。発案した1999年当時はちょうどソフトバンクの孫さんが注目され出した頃ですかね、ITビジネスが盛んになり多くの企業が暗中模索でweb事業に乗り出していく中、総合商社の伊藤忠でも、何かインターネットを使って新しい事業を始められないか…という気運が高まっていました。事業プランを提出したのは、そんなタイミングでした。
でもアイデアを出したのは私ではなく、妻なんですよ。伊藤忠は繊維業界で圧倒的に強いから、はじめからファッションをテーマにした事業、という漠然としたアイデアだけはあったんです。ただ、実際に一人で具体案をまとめようとすると…個人から送られてきた写真を見て、スタイリストが似合う服を選んであげる“webスタイリストサービス”とか、ちょっと事業化の難しそうなものでした(苦笑)。
家で妻にそのプランを話してみたところ、「雑誌には人気のスタイリストがついているし、女の人は雑誌に載っていた服と同じものをそのお店まで探しに行くことが多いから、雑誌に掲載されている商品を家で購入できるようになったら、使う人は多いんじゃないかしら」っていうアイデアを教えてくれたんです。
妻のアイデアをヒントに構想したのが、ただのECサイトではなく、あらゆるファッション雑誌の全てのページを網羅した巨大なファッションデータベース。どうやったらそんな途方もないものを構築できるのか…あれこれ考えていたらその日は眠れなくなって、けっきょく夜中の2時から企画書を書き出しました。その結果生まれたのが、今の『magaseek』のビジネスモデル。市販されている雑誌から情報を引っ張ってくるのではなく、数多くの雑誌と正式にタイアップし連動することで、実現を目指したものでした。
当時の所属部署はユニフォームの営業部隊。このアイデアをいさんで上司に相談すると、「よくわからないが、お前が言うならやってみろ」という感じだったんです。そこで、まず調査会社でニーズの有無を調べ、雑誌掲載商品を購入するサービスがあったら使いたい人が80%以上という結果が出て、実際に事業化を目指していこう、ということになったんです。
しかし、雑誌とタイアップしたECサイトなんて、当時は前代未聞。出版社は歴史も深い分、リスクを冒してまで新しいことに挑戦しないというか…コンサバティブな体質のところが多く、ことごとく提案は断られてしまいました。いろいろと回った結果、『CanCam』や『Oggi』を発行している小学館のご担当者が、伊藤忠と組むならやってみよう、と唯一OKを下さったんです。
当時は、ドッグイヤーという言葉がよく使われた頃で、とにかくスピードを意識しました。小学館と組むことが3月頃決まり、8月にはサービスを開始しようと、がむしゃらに動き回りました。当時はiモードがスタートして話題になっていましたから、PCサイトだけでなく携帯サイトも立ち上げたい、と考えていました。そして、伊藤忠と深い取引のあったNTTドコモ様がちょうど女性客の獲得に本腰をいれられていたこともあり、3ヶ月で公式サイトを立ち上げることができたんです。商品の方も、確かに直に商品を見て買うのが当たり前の時代にECサイトは未知数でしたが、単純に販売チャネルが広がるわけですし、伊藤忠の看板もありましたから、出版社のときほど商談に苦労はしませんでした。 ――事業スタート後、商品は即完売、わずか1ヶ月で登録者数も1万人超。滑り出しが好調だっただけでなく、「女性の購買心理をよく理解した使いやすさ」と支持されるようになりました。未知数の世界でニーズとマッチしたサイトを作るのは大変だったのでは? そうですね、何せ最初はスタッフがたったの7人でしたから、女性社員の声を聞くどころではありませんでした(笑)。ただ、もともと私は服の買い物がすごく好きだったんですよ。自分ではもちろん、妻とも一緒に出かけますね。男性はガールフレンドや奥さんの買い物の付き添いを面倒臭がりがちですけど、私は一緒に回って「これ良いんじゃない?」って勧めたり、一緒に楽しんじゃうタイプで。だから男性でも女性購買者の視点に立つことができたんだと思います。
ただ、ここまで評価していただけるようになったのは、完成してマメにリニューアルを掛けていたからでしょうね。女性社員の意見に耳を傾けたり、ユーザーの方に直接ヒアリングをするのはもちろん、社員もちゃんとサイトで買い物をして、日頃からサイトの使いにくいところをみんなで探して改善しているんです。
ウチの場合、ユーザーの多くは純粋に買い物を楽しんでいる人たち。欲しいモノがすぐ見つかり、カートに入れてスムーズにレジへ進める“買い物の近道”を整備することが最優先ですから、社員もユーザーになることが一番なんですよ。
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――いつ頃からアパレル関連の会社を興したいと考えていたのですか? もともと経営者になりたいと思ったのは、子供の頃から喧嘩ばかりしたり、高校時代は朝から晩まで勉強に明け暮れていたり…負けず嫌いで、人の上に立ちたいという強い願望を抱いた性格からでしょうね。そして、大学に行って出逢った先輩や友人に感化され、自分も会社を興してトップになるっていう考えに結びつきました。学風なのか、早稲田は「一旗揚げてやろう」って人が多かったんですよ。サークルの先輩も起業していましたし。
ただ、私の場合、そういう人たちと違って、何をしたいっていう具体的なアイデアはなく、漠然と「起業したい」と考えていた程度だったんです。だから学生起業という道を辿らず、伊藤忠に就職したんです。とにかく大きな仕事ができて、ノウハウや人脈が得られ、かつグローバルに海外でも活躍できる職場を経験することが可能な総合商社に魅力を感じました。しかもファッションが大好きでしたから、繊維に強い伊藤忠はまさしくうってつけだったんです。
ファッションに関しては、小学校の頃から興味はかなりありました。母親がおしゃれな人で、リビングにはいつも読みさしの『ELLE JAPON』が置かれていたし、小学校時代、塾で良い成績を取ったときのご褒美が服だったんです。高島屋で自分のジャケットを選んだり、母親に「これ良いんじゃない?」って勧めたり…よくよく考えてみたら、その頃からあまり変わってないですね(笑)。
高校に入ってからは、アイビーやプレッピーに傾倒して、大学ではDCブランドにはまって、バイト代のかなりの部分を服につぎ込んでいました。お陰でショップの店員さんとは家に遊びに行っちゃうくらい仲良しに…。今の仕事でアパレル業界の方と熱く語り合えるのは、あの頃のお陰かもしれませんね。
――井上さんの経営哲学と、その原点を教えて下さい。 一人で何かをするのではなく、仲間の意見に耳を傾け、彼らに動いてもらい、一人ひとりに花を持たせる、ということです。いわゆるワンマンではやらないってことですね。
入社直後は順調な滑り出しではありませんでした。役所や企業のユニフォームや作業服の部署に配属となり、2年目から営業に出たんですけど、いまひとつ営業成績は上がらない、何が悪いのかわからない、残業が増えて、週の後半には疲れきって寝坊して怒られる…。後輩のほうが営業成績がよかったりで、全く思い通りにいかなかったんです。 そのときぼくを救ってくれたのは、17歳年上の上司と、本屋でたまたま見つけたデール・カーネギーの本でした。上司に「この部署の仕事があまり好きではないみたいだが、ここで実績を上げられなければ、他の部署から欲しがられるような人材にはなれないぞ」と励まされました。そこで、本に書いてある内容を実践してみたんです。それからですね、大型の受注を取ったり、営業成績がぐんと上がって、みんなが「井上君と仕事したい」と言ってくれるようになったのは。すっかり風向きも変わり、その数年後には香港での仕事にも選ばれました。
その本には、人を褒める、人の話を聞く、自分の心のあり方を変える、といった話が書いてあり、自分のそれまでのやりかたがずいぶん間違っていたことに気づかされました。伊藤忠に入社して気負っていたので、自分らしさを失い、相手のことも考えず威勢だけ良くて、ビジネスで重要な要素を見失った営業活動をしていたので悪循環に陥ってしまった…バイタリティをはき違えていたんです。
でも本当は、一人でやれることなんて限りがあって、仲間と支え合って初めて実現することの方が多い。そのことに気がついたんですね。妻の意見から生まれた『magaseek』もそうだし、それを社員の力を結集して改善して伸ばしてきたのもそうです。だから、企業理念も「社員が誇りに思える会社にしよう!」というのを第一に掲げています。 社員の力を引き出して、社員の手柄にしてあげるように、誘い水を出したりしています。 “社員一人ひとりが成長できて、誇りを持って働ける環境”を整備することを強く意識しています。
−−今の20代に伝えたいことがあればぜひお願いします。
20代という時期は、私がそうだったように間違った方向にがむしゃらに進むといった、勘違いしやすい時期でもありますけど、それ以上に、いつか来る大きいチャンスをテイクする準備期間。「若いときは買ってでも苦労をしろ」って言葉がありますが、まさにその通りだと思います。 この間、知人にこんなことを言われました。
「自分を庇護してくれる存在が居ること、海外勤務の経験があること、若くして修羅場をくぐったこと。不思議と現代の経営者には、この3つを持ち合わせている人が多い」
私の場合も、伊藤忠の入社時代から上場までずっと見守って支えてくれた上司の存在が大きかった。この上司の理解とサポートに何度も救われました。そして30歳前に香港勤務を経験し、着任早々大きなクレームを受けて修羅場を味わった。周りに支えられながら、大きな経験を積んでいったと思うんです。
茂木健一郎さんの本に書いてあったのですが、脳はプレッシャーを掛けるほど、そのあとドーパミンが出て、大きな達成感を得られるそうですね。それは、修羅場を経験して乗り越えるほど脳が快感を覚え、人間として器が大きくなるということ。社長の私が今から修羅場だとまずいですけど(笑)、若いうちって、一生懸命頑張って失敗しても、路頭に迷うこともなく、会社が責任を被ってくれたり、助けてくれる人がいたり、とても守られているものなんです。まして、私の頃と違って今は年功序列というわけでもない、ITのような、若者にしか活躍できない世界とチャンスが渦巻いています。
だから怖がらずにどんどん大きなことに挑戦して、自分を大きくしていくことが大切だと思います。20代のときの経験で、その人の一生の器が決まると言っても、過言ではないですから。
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