モテる社長の法則


(更新日:2007年5月08日)

世の中を元気にしている成長企業。そのトップである社長には、キラリと世の中を魅了するカッコよさやモテる秘訣があるはず!
キャラ、ポリシー、ビジョンから湧き出るその魅力・・・etc。
普段接している社員だけに独り占めさせるのはもったいない。20代の私たちにもそのパワーをおすそ分けしていただこうと、世の中から一目置かれる"モテる社長"に接近し、その素顔に迫ります。

photograph by Shuhei Hori/text by Kei Komori


アニメづくりも人生も、決まった答えなんて存在しない。
石川 光久 氏

株式会社プロダクション・アイジー(Production I.G) 代表取締役社長
石川 光久 氏


1958年10月東京都生まれ。大学卒業後、竜の子プロダクションに入社。1987年、同社より独立し、プロダクション I.Gの前身となる有限会社アイジータツノコを設立。代表取締役として同社を資本増資、株式上場と急成長させる傍ら、アニメーション企画・プロデューサーとして『イノセンス』をはじめ、数々の名作を世に送り出してきた。2003年「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン(EOY JAPAN 2003)」日本代表。2004年「第18回デジタルコンテンツグランプリ DCAj会長賞」受賞。2004年、東京大学特任教授就任。現在に至る。『株式会社プロダクション・アイジー』は2005年12月にジャスダック証券取引所に上場。


ヒットするかどうかなんて分からない。とにかく全力で作品を作るだけ。

『機動警察パトレイバー』シリーズをはじめ、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、カンヌ国際映画祭オフィシャルコンペティション部門ノミネートを遂げた『イノセンス』、そしてタランティーノ監督『キル・ビルvol.1』のアニメーションパート制作…。現在では、OVA『攻殻機動隊 S.A.C. S.S.S.』も好調。
押井 守監督のホームグラウンドとして、ハイクオリティ・アニメを世に送り出しているプロダクション I.Gの作品を、ニーゼロ世代なら、一度は目にしたことがあるのでは?
今回は、代表取締役 兼 企画・プロデューサーとして押井監督とタッグを組んできた石川光久氏にお話を伺いました。



−−タランティーノ監督『キル・ビル vol.1』によるハリウッド進出、そしてカンヌ映画祭にノミネートされた『イノセンス』…急速に世界を視野に入れ始めたのは、どういった理由があったのですか?



実は、世界で勝負したいという想いは前々からあったんですよ。
アニメの制作会社って、他の業界と同じで下請け・孫請け構造の存在する世界。会社を大きくするためには、とにかく早く下請けという状況から脱皮しなくてはならなかった。そのためには、いずれかのタイミングで国内を脱して、海外映画市場の大手と手を組むのが手っ取り早い。向こうでリスペクトされれば、自ずと国内でも認めてもらえるようになるでしょう。


ひとつの契機になったのは、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』。今でこそうちの看板作品になっているけど、劇場公開した1995年当時、日本ではあまり流行らなかったんです。8万本くらいかな、売れたのは。それでもウチが赤字にならずに済んだのは、海外でのヒットがあったから。それでその後、人気の逆輸入みたいな形で、日本でも認めてもらえるようになった。


それから、タランティーノ監督から直々に「『キル・ビルvol.1』の劇中にアニメーション・パートを入れたいから、制作してくれないか」とオファーが来たこと。こちらから営業を掛けたわけでもなく、元請けの制作会社から声が掛かったわけでもなく、タランティーノ監督が会社にアポ無しでいきなりやってきた。それで、僕はそろそろ下請けから脱すべきタイミングなんじゃないか、と判断したんです。


『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』のときに何社かアメリカの映画会社から「続編を作るならぜひ企画をウチに持ってきてくれ」って言われていたこともあって、『イノセンス』の時は、真っ先に向こうの大手に話を持ちかけた。結果、ドリームワークスと組むことができたんです。


…でもあのときは、あまりにも海外のことばかり考えていたせいで、日本でのことまで手が回らなくなってしまって。押井監督との繋がりで、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが日本の配給と宣伝をサポートして下さったんだけど、ものすごい怒られましたね。「お前のやってることは、特攻隊と同じだ。アメリカにいくら気に入られても、それが日本でまた気に入られるとは限らないだろうが」って。でも、その後こう言ってくれたんだ。「もう片道分の燃料しか積まずに飛んでいってしまったものは仕方ない、残りの片道分はオレが補給してやるよ」って。感激しましたね。



−−−ヒット作を生み出すために、何か心がけていることはありますか?



結局、鈴木さんの件もそうですが、アニメっていうものは、僕ひとりでどうこうできる代物でもないし、押井監督ひとりで完成されられるものでもない、同じ想いを持った人たちの協力があって初めて成立する、みんなで創り上げていくもの。だから、大切なのは熱い想いであって、はじめから売れる作品を創ろう、なんていう発想はないんですよね。何が売れるか、答えが出せないからみんな頑張って創るわけで。頑張って作ったものは結果として評価される。それで良いと思うんです。


これって、設立当初から変わらない想いなんですよ。元もとタツノコプロから、クオリティの高い作品を創りたいという想いを持ったメンバーが独立してできたのが、この会社だから。常に、手は抜かず、「これ以上の作品は今の俺たちには生み出せない」と思える、妥協のない闘いを営々と繰り返しながら、大きくなってきた。だから、僕らが心がけていることを強いて言うなら、それは「記憶に残る作品を創ること」かな。いつまでも見た人の心に残り続け、いつ見ても色褪せない。そんな本気が伝わる作品。


画家のモネが描いた『睡蓮』という絵がありますけど、あれは睡蓮ではなく水面を描いた絵。感情豊かな水面を描くためには水以外のものを構図に入れる必要があって、それで睡蓮を描いた。でも多くの人が長い間ずっと睡蓮の絵だと認識していた…。そういう、10年、20年経っても見続けられ、かつ見るたびに発見があるような作品づくりを、僕らもしていきたいんです。



−−−これまでの作品にも、何か仕掛けとして“10年、20年経っても観るたびに発見があるような”ものを施しているのですか?



いっぱいありますよ。いちばん説明しやすいのは、解像度じゃないかな。『イノセンス』や『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の中には、映像メディアの進歩を考慮に入れ、ある水準以上の画質でなければ見ることのできないカットをちりばめています。背景の書き込みなんかはまさにそうで、当時の映像では全体の二割程度しか再生できなかった。それから、『イノセンス』で人形が出てくるシーンがあるんだけど、その瞳に“ある像”が写り込んでいるのも、ブルーレイ・ディスクが出てきてようやく日の目を浴びるようになったんじゃないかな。


話が少し脱線してしまいますけど、どれほど精巧に仕掛けを作ったとしても、観る側の評価って、必ずしも作り手の意図通りとは限らないんですよね。『攻殻機動隊』シリーズには、光学迷彩という、着ると透明人間みたいになれるアイテムが出てきます。大勢の人が、あれを未来の白兵戦の在り方を描いたもののように思ってるんですけど、僕らが描いたのはそういうものじゃないんです。戦争とかテロとか…死と隣り合わせの状況下では、どんなに訓練された人間も、岩を戦車と見間違えたりするくらい錯乱状態に陥るわけで。別に闘いの場では透明人間になる必要なんてなく、今あるようなカモフラ柄の迷彩服でじゅうぶん姿を消せるから。


じゃあ、なんでそんな“透明人間になれる兵器”を登場させたのかというと、それは闘いの後の話。“犯人が痕跡を消すための手段”としてなんだ。原作の士郎正宗さんは「ネットの進歩による新たな可能性の出現という恐怖」を描き、押井監督は「戦争によって文明は進歩してきたし今後も進歩し続けるだろう」という警告を発している。どんどん、犯罪や人殺しといったものが冷酷に、完全になっていく怖さなんですよ。だから、そういう文明の進歩に、文明を使う人間の側が負けないようにするため、人と人とのアナログな関わり、純粋さ、人間らしさといったものを、同時に描いているんです。


若い頃は誰だってカッコイイ。みんなが薄汚れてくるオッサン期こそ勝負どき。

−−石川さんは子供の頃からアニメーションの世界を夢見ていたのですか?



いや。子供の頃はアニメなんて全然観たことありませんでしたし、将来の夢もせいぜい「普通になりたい」と思っていたくらいでしょう。小学生の頃、僕は自分がすごく厭でした。勉強はできなかったしモテないし。ひどいときには「バイキン君」なんて呼ばれていたことも…。だから、その頃の夢は「普通になりたい」。それだけでした。そのわりに勉強なんかほとんどしなかった、運良く大学に入ってからも授業に出ず、世界中を放浪していたり…。結局、他の人と同じように過ごすより、そういう生活の方が性に合っていたんですよね。


大学を出てからは、ふと人形浄瑠璃に魅せられて文楽を始めました。どうせ自分は社会に向いてないんだから、こういう世界でやっていこう、そう思ったんですよ。でも、それ一本ではとても生活していけない世界でね、仕方なくバイトを始めることにして、そのとき入社したのが、たまたまアニメ制作会社のタツノコプロだった、というわけです。…いや、ホント人形の世界って難しいんですよ。『イノセンス』のときも、人形を扱う路線に決まった瞬間この頃のことが脳裏を過ぎり「…やばい、売れないかも、社員に悪いコトしたなぁ」なんて思っちゃったくらいですから(笑)。



−−アニメを観ないことに加え、絵も描かれなかったそうですが、どのようにしてアニメーターと円滑に仕事して来たのですか?



それこそ、文楽で人形を操っていた経験が活きたんだと思います。何となくアニメーターがキャラを動かす大変さを予想できましたし。それでいつの間にか仕事が面白くなっていて「もっと良いモノを作ろう」という想いを抱えて独立するくらい、ドップリ浸かっていたんでしょう。


社内の人間から信頼されるようになって…その頃からかな。夢が「普通になりたい」から、「格好良くなりたい」に変わっていったのは。若い頃はみんな格好良くて当たり前。でも、大人になると外見は老いるし、心も黒く醜くなっていく。それならば、僕はみんながカッコ悪くなってきた年の頃にいちばん格好良くなるような人生を歩めば良いんだ、って思ったんですよ。若い頃はTシャツにジーンズしか着なかったのに、いまさらオシャレに気を遣うようになったのもそういうこと。もう若い頃のようにTシャツ・ジーンズでは似合わないですから。



−−石川さんが思う、「カッコイイ大人」というのは?



矢沢 永吉…永ちゃんです。実はキャロル時代からの大ファンで、若い頃に買ったレコードを未だに持っています。実はこの半年で、二度も偶然お会いしているんですよ。トンカツ屋と麻布の喫茶店で(笑)。永ちゃんでもトンカツ食べるんだ…と思ったのは置いておいて、やっぱり身振りや体系、オーラ…とにかく格好良いんですよね、手を抜いていないのがよく分かる。だから色んな人から憧れられるし、信頼もされているんだと思う。


だから、カッコイイ大人には“信頼される大人である”っていうのがひとつの条件になるんじゃないかな。これは新入社員にも話をしていることなんだけど、そんな永ちゃんも、ジブリの宮崎駿さんも、最初は身ひとつで上京してきたところからのスタートなんですよ。それが成り上がりで成功を手にできたのは、純粋に、周囲の人間を惹きつけることができたからだと思っているんです。


半径5メートル以内の人から信頼されること。これが成功するための最低限の条件だと僕は考える。自分のすぐ近くにいる人にすら見放されてしまったら、やりたいことなんてできないし、夢だって実現できないと思う。だからそのためには、時として我慢しなくちゃいけないシーンもある。僕のやってる仕事なんて、まさにそうだよね。さっき、アニメはみんなで作るもの、とか言ったけど、直接作品を創り上げていくのはアニメーターや監督さん。絵の描けない僕は、代わりに他の誰にも描けない“プロダクション I.Gの未来図”を描いている。そしてそれは、1人では絶対に実現することができないから、僕は現場の人たちを最優先に尊重しなきゃいけない。極端な例だけど、監督から「イシカワ、お前、映画に出演しろ」って言われたらイヤでも出なきゃいけないわけですよ。



−−確かに、昨年公開の押井監督作品『立喰師列伝』では、石川社長自ら好演されていましたね。あのときも、そうした配慮からですか?



プロデューサーとしては、監督に会社の身の丈にあったものを作ってもらう必要がある。予算もアテもないのにハイクオリティすぎる作品を制作しようとしたら、プロダクション I.Gは破産してしまいますからね。時には自由に、時には資金を掛けて死ぬ気で挑む…そういうサイクルが大切なんですよ。


ちょうど『イノセンス』で16億という巨額の資金を押井さんに預け、彼にも「オレこんなに渡されても、どう作ったらいいかわかんねぇよ」なんて苦笑いされたばかりだったので、その直後の作品である『立喰師列伝』では、押井監督にガス抜きしてもらう必要があったんです。大がかりな作品ばかりでは、誰だって疲れてしまいますから。それで、コストは掛けず、その代わり作りたい映画を好きなように作ってもらう。そのために、役者を使わず社内の人間が演じる、という形になったわけ。世に出たは良いものの、あまりの恥ずかしさに、なかなか娘に見せられなかったくらいです(笑)。見せたら結構気に入ってくれたので、ホッとしていますけどね。


1日のスケジュール
9:45 出社。メールチェック・デスクワーク
12:30 昼食
13:30 デスクワーク
14:00 取材 or 社外の方とMTG
15:30 社内MTG or デスクワーク
18:00 移動+社外の方とMTGを兼ねて会食
21:00 帰宅

	大切なのは曖昧さ。ガチガチな存在じゃないからこそ、人間は成長していける。

−−押井監督と、タッグを組み続ける理由は?



普通は押井監督の作品が好きだから組むって考えるでしょ? ところが違う。僕は、押井 守という人間そのものが面白い、だから一緒にやりたいと思うんです。確かに彼の作品はどれも魅力的だと思います。でも、押井さん自身の面白さが100%そこに出ているかというと、まだまだだという気がする。だから僕は、どうにかして彼の面白さを伝えきれるような作品を、彼と一緒に創っていきたいと思うわけで。僕らはアニメーションの作り手として、心を揺さぶる作品を創らなくちゃいけない。記憶に残る作品をね。それを実現するためには、彼の力が必要なんです。


去年、僕は海外でコラムの時計(愛用アイテム1参照)を買いました。それは、2004年という、イノセンス公開の年が刻印されているもの。見つけた瞬間「これだ!」と思って衝動買い。どうしてそんなことをしたのかと言うと、そろそろ僕らも“記憶”だけでなく、“記録に残る”映画を創っていかないといけない、という想いが、『イノセンス』以降、とても強まっていたからです。『イノセンス』は、プロダクション I.Gという社名と、TVシリーズ『攻殻機動隊 S.A.C.』の良い宣伝にはなったと思う。人形という、表情のない独特の空気感がよく出ていて、個人的にも好きな作品であることも間違いない。
 
でも、目標としていた50億円という売上目標にはまだ到達していない。押井監督とプロダクション I.Gの闘いは、まだまだ続くわけですよ。この結果をしっかりと受け止めた上で、いま、押井監督には新しい大作アニメーションの制作を進めてもらっています。まだ細かい内容を話すことはできないけれど、ぜひ期待してて下さい。


−−次回作の公開が楽しみです。最後に、20代にメッセージがあればお願いします。



人間は曖昧だから成長できる、ということですかね。
これは押井監督から聞いた話なんですけど、モズという鳥が居ますね。とても暗記力が悪くて、自分で隠した餌の場所を忘れてしまう、と言われていた鳥です。でも実はモズってすごく記憶力が良かったんだ、ってことが、最近の研究結果で明らかになりました。目で見た瞬間、カメラのように忠実にその景色を頭に焼き付ける、だから次に餌を隠した場所を訪れたとき、ほんのわずかな違い、例えば落ちていた葉っぱが風で飛ばされて無くなっていたくらいで、違う場所だと判断してしまう。それで堂々めぐりをしてしまうそうなんです。


でも、人はそうじゃないですよね。もっと曖昧だし、色んな考え方を持ってるし、だからこそ映画やアニメを生み出すことができるし、そういうものを見て感動できるんだと思う。蛇足だけど、むかし、僕が学校の勉強をすごく嫌ってたのは、そういう曖昧さを成績で評価してもらえない上に、「ひとつだけの答え」を強要されたから。


社会に出てみると、“答えはひとつじゃない”ってことが当たり前になる。学校の勉強で味を占めてきた方法論は、たちまち役に立たなくなっちゃうけれど、そこで、勇気を出して自分だけの決断をしていくことで、人から信頼される、という評価を得ることができるんです。点取り虫になるんじゃなくて、時には人の意見に耳を傾け、時には誰とも違う決断をする。そうやって“ひとつではない答え探し”を積み重ねることで、人は成長できるし、カッコ良くなれる。そしてまわりの人たちからも信頼されるんだっていうことを、常に意識していてほしいですね。



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石川氏アイテム
【愛用アイテム1】 【愛用アイテム2】 【愛用アイテム3】
アイテムを持つのならストーリーが無くては」と語る石川氏は、『イノセンス』公開年である“2004”が刻印されたコルムの時計を購入。この時計には、押井監督が現在制作を進めている次回作のヒントが隠されているとか…。 1987年の設立からずっと付けている手帳。“いつ、誰と、どこで会い、どういう交渉をしたか”という純粋な記録が、アニメのタイトルとともに記されている、まさにプロダクション I.Gの歴史そのもの。「後で読み返すかは別で、書くことそれ自体が大切な行為」。 遡ること29年。成人式のときに両親から送られたリーガルのウィングチップ。冠婚葬祭でしかスーツを着ないという石川氏は、未だにこの靴を履き続けている。「初めて親に買ってもらった高価なモノ。これを大切に履き続けることが、自分の中では一種の支えになっていますね」。

【石川氏が影響を受けた本】
『何でも見てやろう』

『何でも見てやろう』
小田実 /著


留学生時代の著者が、笑顔とバイタリティーで欧米・アジア22ヶ国を貧乏旅行。先進国の病根から後進国の凄惨な貧困までを、見たまま感じたままに書いたベスト&ロングセラーの快著。

「答えが1つしかない学校の勉強がイヤで、大学のときに奮起して海外を放浪したのは、これを読んでインドに行きたくなったからでした。得るものが大きかった反面、リスクも大。帰国後、赤痢に掛かって隔離入院させられて、本物の“バイキン君”になっちゃったんですよ(苦笑)」



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